考えて撮ってる?感じて撮ってる?

selfie

もっと構図を考えなきゃ、露出を考えて撮らなきゃいけない。たまーにそんな声を耳にする。真面目に写真を撮り始めて間もない人ほど、そう感じたりするのではないだろうか。また、かなり撮っている人が「あまり考えずに撮ってるからよくない。もっと考えて撮らなきゃ」なんて言っているのも耳にすることがある。

悩んでいる人がなにかに気づくきっかけになればいいなと思い、そんな構図や露出に関する私の考えを述べてみようと思う。ちなみにあくまで「私の考え」なので唯一無二の正解ではない。なるほどそんな考え方もあるか、という程度に聞いていただければいいと思う。

Leather Craft

冒頭で述べたような言葉と同じくらい耳にする言葉として、「最近、考えすぎて撮れない。写真撮り始めた頃はもっと感覚で撮っていたのに」というものがある。実際私もその時期を経験した(今でも少し感じることもある)

これらを総合すると、初心者のときは「感覚で撮ってる、考えて撮らなきゃ」と感じ、ある程度知識を得て考えられるようになった中級者は「考えすぎて撮れない」となり、さらに撮リ続けていると「感覚で撮ってる、もっと考えて撮ったほうがいい」と感じるようになるのではないか、と考えてみた。(必ずしもそうとは限らないのは百も承知)

これは、知識を持たない状態(初心者)が、知識を持つことにより頭でっかちになった結果シャッターを押せなくなり(中級者)、それでも取り続けることで知識が身について感覚的にこなせるようになった結果、再び「考えてない」と感じる領域に到達するのではないかと考えている。

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つまり、知識を得た上で考えずに撮っている人は得た知識が身についているので「考えて撮っていない」わけではなく、超高速で処理されるがゆえに「考えている自覚がない」のではないかというわけである。(それを「感覚で撮っている」と感じている)

構図や露出なんてものは写真を構成する一つの要素でしかなく、なんなら「何を撮るか」より重要な要素ではない。つまり、構図や露出といった付帯的な要素に知識の上で踊らされてシャッターが押せなくなるのが上で述べた中級者が陥っている状況なのではないだろうか。

お箸の持ち方に例えてみると、生まれたときは誰もお箸の持ち方を知らない。しかし子供の頃に親や先生に教わり、一生懸命練習をした記憶が誰にでもあるのではないだろうか。それでもやはり最初はお箸を持つ手に集中していなければ持てない時期があり、それでもお箸でご飯を食べ続けた結果、今では何も考えずに持つことができているハズである。

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相変わらず一筆書きで書いているので何が言いたいのかわからなくなってきたけれど、つまり「構図や露出を考えているうちはまだまだ!でも考えて撮り続けてれば近い将来身につくからがんばるしかない!」ということである。ちなみに自分もまだまだ身についている領域まで行ってないし、考えすぎてシャッターが押せないことも多々あるので、こうだと信じて撮り続けるのみ、と思っている。

また、中級者がシャッターを押せなくなる理由は別にもう一つあると考えているのだけれど、それはまたどこかの機会に。

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