記憶の記録

Kawaramachi

写真とは、記憶の記録である。ある人を撮った写真、ある場所を撮った写真、その瞬間、その人(場所)の姿を写し撮ったもの。どちらも、記録といえば記録である。

sleeping...?

しかしその人、その場所を知る人がその写真を見ると、見た人の記憶を呼びおこすことができる。この人とはよく遊びにいったな、とか、この場所で誰かと会ったな、とか、自分で撮影した写真は、大抵、撮った時のことを思い出すことができる(一部、酔っ払って撮った写真など、例外もある)

撮ったその日に見て大した写真ではなかったとしても、1年後、5年後、10年後に見ると面白いものになるのではないだろうか

そう思って常にシャッターを切ることにしている。その人、その場所の写真、いつ撮れなくなるかわからないからね

冒頭の写真は熊本河原町の写真、先月火事で燃えてしまい、二度撮れない写真になってしまった場所である。しかし、当時撮っていた写真を見ることで、記憶を呼び起こすことができる。もちろん、写真がなくたって思い出として記憶しているが、写真という媒体を通すことでより鮮明に、多くのことを思い出す事ができる。そういう意味で、写真を撮るということは、記憶の記録を撮っていることになるのだ。

 

2件のコメント

  1. こんばんは。
    ボク自身、写真というのは(ボクたち日曜写真家の写真も含めて)時間が経った時に初めて価値が出てくるんじゃないのかな、という思いがあります。
    写真というのは人や場所や感情の記録でしかないのでしょうが、その記録ってものすごぐ大事なものだと思うんですよね。

  2. >はしもとさん
    コメントありがとうございます
    写真を見ることでその時の感情とか空気とか、思い出すことできますもんねぇ~。。。撮った本人は、ですが(笑
    藤田一咲さんの本に「写真はどこでもドア」という言葉もありました。
    写真を見るだけでその場所その時間に一瞬で行くことができる…というものでした。

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