駄カメラというカルチャー

street art

先日、こんな記事を書いた。

その後、現在開催されている駄カメラ写真グループ展4に伺ったときに、出展者の方から「駄カメラ」という言葉に込めた心についてのお話を伺うことができた

先のような記事を書いた私の認識が少し違っていたようなので、駄カメラ展の中の人でもなんでもないのだけれど、先の記事をアップした責任としてお話を伺った上での私の認識をここに残しておこうと思う

まず勘違いしてはいけないことは、「駄カメラ」とは特定のカメラを指す単語ではない、ということである

「カメラ」という単語が含まれている以上
どうしても「カメラ」を指しているように感じてしまうけれど「あれは駄カメラ」「これは駄カメラじゃない」という使い方はしないそうだ

従って、私の先日書いた記事は根本的に間違っていたわけである…(KYOCERA TDという特定の機種に対して「非公認駄カメラ」と述べてた)

 

じゃあ駄カメラとは何なのか…ここから、私なりの解釈が含まれる

 

駄カメラとは、カルチャーである。(文化という言葉はちょっと違う気がして、敢えてカルチャーとした)

カメラが高価で贅沢品だった時代から技術の進歩の上で量産化が進み、安価になったことで一家に一台カメラを持っている時代が訪れた

家庭用となれば、基本的には「簡単に撮れるコンパクトカメラ」である

カメラを使ったことのないお父さんお母さんでもシャッターを押せば写真が撮れる、でも写ルンですよりはすこししっかり写る。そんなことが求められていた

 

今の時代のように電子制御技術も発展途上だった時代、各社が様々なアプローチで理想のカメラ像を追い求めていた

さらに他社との差別化を図ろうと「押せば撮れる」以上の付加価値として、様々な機能を追加してきた

 

一方、近年フィルムカメラブームがすこーし(?)燃え上がり、フィルムカメラの価値が上昇している時代にあると思う。しかし信頼性と修理の可能性から、人気の中心は機械式カメラにある

一方、先に述べたような家庭用カメラは電子式のものが多く、故障してしまうと修理不可能なため、人気がでない

その結果として、ワゴンセールのように投げ売り価格で売られているものが多い

そんな100円、200円で売られているカメラたちに改めて目を向け(中には、オークションで1円、というものも!)当時のメーカー・技術者の想いを感じ、それらをリスペクトした上で、安かろう悪かろうではないのだということを身をもって体感しながらカメラを楽しむ

そんなカルチャーが駄カメラなのである

駄菓子は値段こそ安いものの、そのひとつひとつには想いが込められており、決して「質の悪いものである」わけではない。そんな「駄菓子」への尊敬の意も含めて
「駄カメラ」という名前が生まれたということである

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